日本の教育を考える|学園長 青木 徹

年々、世界が大きく変わっていきます。私が中学生、高校生のころは、今あるようなパソコンもなければ、インターネットもありませんでした。現在は新聞や書籍も紙ベースの本から電子書籍に変わりつつあります。手紙はメールに変わり、インターネットでさまざまなものが買うことが出来、支払いもインターネットを通して行えるようになりました。それに伴って私が中学・高校生のころにはなかった新しい職業がたくさん生まれました。

このように世の中がどんどん変わっていくと、20年、30年後には、現在なかったものがたくさん生まれ、現在ある職業がなくなり新たな職業が生まれます。

すると、今、学んでいることが数十年後には役に立たないというようなことがたくさん起きてきます。そこで、学校で学ぶことは世の中がどんなに変わっても使える学び、新しい時代に対応できる創造力や、探究力、新しいものを取り入れることのできる学びなど、いつの時代でも使える力を学校で身に付けなければなりません。
ところが、日本の学校の多くは知識や計算の仕方などを教えるだけで、考え出す力や創造する力、発信する力をつける学びをあまり行っていません。もちろん読み書きそろばんは大切です。創造力や発信力、思考力を育てるには、土台となるしっかりとした知識が重要です。しかし、それだけでは劇的に変化する21世紀に対応することはできません。私たちは学校の教育の仕方、あり方を変えることで、創造力、探究力、発信力、コミュニケーション力などこれからの世の中に対応できる学力をもった生徒を育成する必要があるのです。


一方、「日本の若者が内向きになったとか、チャレンジしなくなった。」といわれていますが、私は、日本の学校教育の在り方が原因のひとつになっていると思います。

一定レベルの教育を集団で指導し、学力を上げるという意味では、戦後の日本の教育は大きな成果を発揮したと思います。しかし、それは、生徒一人ひとりの能力や個性の違いなど配慮せず、大量生産、ベルトコンベア型、画一教育でした。しかも授業の多くは、教師が生徒に一方的に講義をし、生徒はそれを聞きノートに写すという受動的な学びでした。このように、子供たちは小学校から高校まで受身の教育を受けていて、どうして主体的に活動できる人材が育つのでしょうか。

生徒たちが主体的、能動的に学び、インプット力もアウトプット力も育てる授業をしていかなければならないのです。


ところで、生徒が主体的に学ぶ教育については,心理学者・教育学者であるビゴッツキーが『思考と言語』の中にある「発達の最近接領域」で、ブルーナーは『教育の過程』で「学びの構造化」として、子供たちの可能性や、能動的・主体的に学ぶ実践的な教育について論じています。現在は彼らが主張している構造主義の学び(生徒たちが活動を中心とした能動的な授業)、いわゆるアクティブラーニングを行う学校が少しづつ増えています。

生徒が主体的に考え、能動的に学ぶ学習としては探究型の授業や、協働型の授業がその代表的なものです。探究型授業では教師が授業で解決していく疑問・課題を提起し、生徒はそれを考えます。そして教師と生徒たちとの双方向のやり取りを通して、教師がそれをまとめながら、一歩一歩授業を進めていきます。教師は生徒達の質問や発言を通して、どこが理解されているか、されていないかを確認しながら授業を進めていきますので、ほとんどの生徒が学習内容を深く理解するだけでなく、思考力、発信力が高まります。

また、協働型(学び合い型)授業は、教師が疑問・課題を提起し、生徒たちはグループをつくり、それまで学習した内容や知識と教師のアドバイスを基に、疑問・課題を解決するために、一人ひとりが考えを出しあい、検討し、論議し、課題をまとめて発表します。この学び合いの中で、互いの思考が深まり、創造力、探究力、コミュニケーション力が高まり、さらに、疑問・課題の解決法をグループごとで発表することで、発信力が高まります。

こうした学びを通して生徒たちは主体的に学ぶ楽しさや、物事の本質を学んでいます。生徒たちのこの学びで獲得した力が社会に出てからも役に立ち、どのような世の中になっても対応出来ることができるのです。開智日本橋学園中学校では探求型の授業や協働型の授業を通して、またプロジェクト型の学び・行事を通して生徒たちが主体的に学び、創造力、思考力、発信力をしっかりと育成できる教育カリキュラムを創りました。ここで学んだ生徒たちが、豊かで平和な社会の実現に貢献できる人に育つことを願っています。

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